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食物アレルギーとの8年間

うわ~~~タイトル重い!

ですが、今回もちょっとシリアスモード...。

学校の生活科で、自分史を書くような授業をやっています。
自分がいかに望まれ、いかに大事に育てられてきたか?っていうのを
確認するような授業ですね。。。
助産師さんが来て、出産の仕組みと大変さを語ってくれて
娘はすご~~~く感心しておりました。
各家庭で子供の8年間の大変だったこと、感動したことなどを語りあい
記録し、写真を持ってくるのが宿題です。

去年の暮の個人面談で、担任の先生からお話があり…
「Nちゃんには食物アレルギーのことは避けては通れない8年間ですよね?
もしよろしかったらそれをテーマに語ってあげてもらえませんか?」

と言われていたんです。

そうですよね~確かに。
彼女の8年間の人生とアレルギーは切っても切れない関係です。
先生は「その話を聞いてご本人は大丈夫でしょうか?
ご両親は大丈夫ですか?」と精神面を気にしてくださいました。
が、私は娘のアレルギーが完治の方向に向かっていることもあり
「たぶん本人は私が思うより平気だと思います~
それより私の方が重いですね~」などと簡単に了承して帰ってきました。

が、しかし・・・。
どうやって話そうか…一言では語れないし…。
年末には時間があるから話そう…
年始には話そう…そう思いながら月日は経ち
とうとう娘が学校からの宿題の用紙を持って帰ってきました。

「生まれたとき」
「2~3さいのころ」
「幼稚園保育園のころ」
「入学のころ」
それぞれB5用紙です。

ちょうど娘の8歳から一週間たった週末
夫と娘と三人でPC内の写真を見ながらいろいろ話し始めました。

生まれたころの写真はいいんです。
もうそれはそれは楽しく語り合いましたよ~~~。
なかなか生まれてこなくって~とか,
おなかをけられて痛かった~とかなんとかかんとか。

が、しかし、私には先生とお約束した
「アレルギーのことを話す」という大役が(笑)。
どこからどう話していいのかもわからずに、
ポツリポツリ。。。。
ま~写真見てても顔に湿疹のある写真も多いですし
アレルギー症状は医者に見せるために写真を撮っていたので
それをキッカケにぽつりぽつりと・・・。

食物アレルギーだとわかった時のこと。
誤食して意識を失い、死を身近に感じた時のこと。。。
何を食べさせたらいいのか途方に暮れたときのこと。。。
必死で情報を入手し、食べられる食材を探したこと。。。

できるだけ明るく笑顔で話そうと思ってはいたのですが
話していると当時のことを思い出して
ついつい声のトーンが下がって黙りがちに。。。(私ってダメなやつ)
夫が気分を変えて助け船を出してくれながら話して行きました。
(いつもは無口な夫もさすがに黙ってはいられなかったらしい(苦笑))

私は8年間ずっと、娘のそばで食事の世話をしながら
彼女とともに食物アレルギーに取り組みながら歩いてきたと思っていたので
娘は自分自身のアレルギーを理解していると思い込んでいたのですが、
それは甘かった…当たり前ですが。
もっとあっけらかんと受け止めてくれると思ったのですが
私の暗いトーンがダメだったのかいつになく神妙な顔で聞いていました。
あげく、「そんなのどうやって書いたらいいかわかんないよ~」と言いだす始末。。。

彼女はたくさんのアレルギーがあり除去を基本にしていたので
4歳以降はアナフィラキシーを起こしたことはないんですね。

私も除去してるくせに、少しずつ試しているようないい加減な母親だったので
「口が痛い」「おなかが痛い」下痢嘔吐ぐらいで
だいたいの症状は治まっていました。

話していないから当たり前のことなんですが、3歳の時に
いつも食べていたアワ麺のスパゲティで喘息発作をおこし
血圧が低下…意識を失った娘を救急へ運んだ時の話は
彼女にとってもまさに寝耳に水だったようで
彼女もかなりショックを受けていました。

「じゃあ、その時は死にそうだったの?」
と聞かれた時には「うん、そうだったかも。。。」としか答えられず。

まぁ、回復はしたんですが
なぜそれが起こったのか…何が原因だったのかすら
実は判明していない出来事なんですよね~。。。。
多分アワ麺。その後ヒエ麺でも喘息起こしましたので。。。
(なので、その後は雑穀の麺もやめていましたし
実際IgEも出ていました)

彼女いわく
「ママがいろんな食べられるものを探してきてくれたり
いろんな食べられるものを作ってくれたりするのは
知ってたし大変だな~とは思ってたけど。。。
そんなことがあったって知らなかった~。」

「あ~死ななくてよかった~」だそうです(苦笑)

話し終わってほっとしました。
と、同時に彼女とはあの辛かった除去食生活
共有はできないんだな~としみじみ感じました。
ちょっとさみしくもあり。(笑)

辛かったのは私だけだった!?・・・んです。

娘は減感作中の、症状の苦しさは覚えているようですが
それも後から考えればたった半年~1年の出来事。。。
小学校低学年までのことですから、きっとあっというまに忘れてしまうでしょう。
今や小麦が食べられなかったことすら
私も娘も忘れている生活です。
卵も卵そのものの料理(オムレツ、茶わん蒸し、卵焼き)などは少量ですが
混ざっているものは食べていますしね・・・。
治ってよかったと思う反面、あのつらい除去生活はなんだったんだ!!と(笑)
もう5年10年治るのが遅かったら
彼女もそれなりにいろいろ思い悩むことがあったかもしれませんし、
後々になっても覚えていてくれるかもしれないんですが。。。

こんな感じだとどうかしら~。
すっかり忘れてしまいそう。。。
娘が食物アレルギーから学んだこと、得たことは
自分の身は自分で守るという「しっかりさ」と野菜好き。。。

結論:
やっぱり娘のアレルギーは私自身の試練というか、学びだったんだなぁと
思ったしだいです。。。(苦笑)

テーマ : アレルギー・アトピー
ジャンル : 育児

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